父や母の忠誠を裏切り続けた社会のために切腹したくない
3連休が明けた火曜日の朝、オフィスのパソコンを開いた管理職のもとに、1通の通知が届く。 差出人は退職代行サービス。昨日まで普通に働いていたはずの若手社員が、今日この瞬間から二度と出社しないという、法的に整えられた一方的な通告だ。
「直接言いに来るのが筋だろう」 「社会人としての義理や礼儀というものがないのか」 「最近の若者は、嫌なことから金で逃げることしか知らない」
管理職や経営者たちは顔を真っ赤にして憤慨し、居酒屋やSNSで「若者の根性なし」を肴にして管を巻く。 だが、その憤怒の表情を眺めながら、私は冷え切った感情を抱かずにはいられない。
彼らは本当に理解していないのだ。なぜ若者が数万円の手数料を払ってまで、誰とも顔を合わせずに、LINE一本でこの場から消え去る道を選ぶのかを。
それは甘えでも、逃避でもない。 「会社のために心身をすり減らして殉死(切腹)することを、冷徹に拒絶した」という、生物として至極真っ当な自己防衛にすぎないのだ。
「筋を通せ」という言葉に隠された、支配欲のグロテスクさ
会社側が言う「直接会って話すのが筋だ」という台詞ほど、欺瞞に満ちた言葉はない。
もし若手社員が正面から「辞めさせてください」と上司に切り出せば、その先に何が待っているか。 密室の会議室に呼び出され、「お前のためにここまで育ててやったのに」「いま抜けられたら現場がどうなるか分かっているのか」「次の転職先でも通用しないぞ」と、恩着せがましい説教と恫喝、そして執拗な罪悪感の植え付けが何時間も続くのだ。
彼らが言う「筋を通す」とは、対等な人間としての対話を意味していない。「最後までこちらの都合でコントロールし、こちらの気が済むまで頭を下げさせ、精神的に優位に立った状態で辞めさせろ」という、組織の傲慢な支配欲の言い換えにすぎない。
そんな泥沼の精神的リンチに付き合わされ、メンタルを削られるくらいなら、数万円を払って弁護士や代行業者に法的な防壁を作ってもらい、一切の連絡を遮断して去る。 これほど合理的で、清潔で、コストパフォーマンスの高いリスクヘッジが他にあるだろうか。
感情論を振りかざして部下を縛り付けようとする上司に対して、若者はただ、契約と法律という「乾いたルール」を淡々と突き返しているだけなのだ。
父や母の背中という、あまりにも残酷な生きた教科書
だが、この問題の根底にあるのは、単なるコミュニケーションの摩擦ではない。 いまの20代、30代の若者たちが抱いている、「日本社会と組織に対する底知れぬ不信感」である。
彼らは、バブルの熱狂など知らない。物心ついた時から日本経済は沈没を続け、親たちが苦しむ姿を見つめながら育ってきた世代だ。
彼らの目の前には、いつも父親や母親の痛々しい背中があった。 会社に滅私奉公し、理不尽な命令にも頭を下げ、サービス残業に耐え、有休も取らずに身を粉にして働いてきた親たち。そんな親たちに対して、会社と国家はいったい何をもたらしたのか。
上がらない給料。削られ続ける手取り。うつ病による休職。 そして40代、50代になれば、「黒字リストラ」や「役職定年」という名の冷酷な肩たたきに遭い、ゴミのように放り出される現実。
「会社のためにすべてを捧げた人間が、最後にどう扱われるか」——その残酷極まりない結末を、彼らは子どもの頃から、家庭の食卓で、親のすり減ったため息を通じて、骨の髄まで学習してきたのだ。
忠誠を尽くした父や母を平気で裏切り、使い捨てにしてきた社会。 そんな社会の片隅にある会社から、「うちのために忠誠を尽くせ」「義理を欠くな」などと言われて、誰が耳を貸すというのか。
「父や母の人生を食い潰したお前たちのために、なぜ私が腹を切らなければならないのか」
若者たちの退職代行の背後にあるのは、組織への甘えなどではない。親世代の屍を踏み越えてきた若者たちの、凍りつくほど冷徹な「拒絶」なのだ。
「外資と同じ」だと?——給料も性根も違う、都合のいいキメラ
ここで「我が社も成果主義を導入したから外資と同じドライな関係だ」などと、したり顔で開き直る経営者や管理職がいるなら、笑止千万である。
お前たちは、外資系企業とは何から何まで違う。 給料の額も違えば、背負っている覚悟も、性根の卑しさもまるで違うのだ。
もし外資のように、「成果に対して圧倒的に高い報酬を払う代わりに、結果が出なければ即座に切るし、社員が明日辞めるのも自由」と割り切っているのなら、何の文句もない。そこには互いにリスクを背負った、対等でドライなビジネス契約があるだけだ。醜い執着も、恨みも生まれない。
あるいは、かつての日本企業のように、「給料は年功序列だが、定年まで家族ごと一生面倒を見る」という覚悟と保証があった時代なら、滅私奉公や義理を求める筋も通っていただろう。
いまの日本企業が世界で最もみっともないのは、その両方の「都合のいい部分」だけをツギハギした、醜悪なキメラだからだ。
給料は安く買い叩き、終身雇用を捨てて非正規やリストラでいつでも切れるようにしたくせに(ドライな資本主義のいいとこ取り)、いざ社員が辞めるとなると「家族だから情を持て、義理を欠くな、最後まで頭を下げて挨拶しろ」と迫る(ウェットな共同体の押し付け)。
リスクは取らない。金も払わない。だが忠誠心と自己犠牲だけはタダで寄越せ。 そんな究極のせこさを「日本的な良さ」や「社会人の常識」などと美化するな。ただの厚顔無恥な搾取者にすぎない。
会社がクビにするのではない——若者が「無能な会社」をクビにしているのだ
外資系企業では、「能力がない」と見なされた社員は、私物を詰めた段ボール箱を一つ持たされ、左右を屈強な二人のガードマンに挟まれて、その日のうちにビルから即座に叩き出される。誰もそこに情や義理など挟まない。
そしていま、日本の職場で起きている退職代行の急増とは、まさにその力関係が完全に逆転した光景にすぎない。
会社が社員を切り捨てているのではない。 「人を育てる能力も、適正な給与を払う能力も、未来を示す能力もない無能な会社」に対して、若い社員たちの側が代行業者というガードマンを立て、「お前には能力がない」と即座の切り捨てを突きつけているのだ。
ただ、それだけのことなのである。
二重基準で社員を騙し、タダ働きを貪る無能な組織を、若者たちは冷徹なビジネスのルールで見限り、段ボール箱を突きつけて人生から叩き出しているのだ。
組織に下された、静かで決定的な死刑宣告
退職代行の急増を、「若者のメンタルの脆弱さ」として片付けている限り、この国の企業に未来はない。
それは脆弱さの証明ではない。人間を人間として扱わず、安価な部品として使い潰そうとする日本型組織に対して、労働者が突きつけた最も合理的で、最も容赦のない「静かな死刑宣告」なのだ。
義理や情という名の都合のいい鎖で、人間を縛り付けられる時代は完全に終わった。 父や母の忠誠心を裏切り、労働者を買い叩き、未来を奪い続けてきた国家と企業が、自ら蒔いた冷酷の種を、いま因果応報として刈り取らされているにすぎない。
スマホの画面越しに淡々と告げられる退職の知らせを前に、大人は若者を罵るのをやめるべきだ。 鏡を見よ。そこに映っているのは、若者をそこまで追い込み、一切の情けを失わせた、自分たち自身の醜い姿なのだから。


