台風25号がもたらした豪雨により、千葉県をはじめとする各地で物流網が寸断された。道路の冠水、土砂崩れによる通行止め、物流拠点の孤立。その爪痕が生々しく残る現場に、休む間もなく「台風26号」の巨大な雨雲が連鎖するように迫っている。
部品が届かず、稼働停止の危機に瀕する工場。欠品を恐れる小売チェーン。この事態を受け、経済産業省は被災中小企業に向けた相談窓口の設置や保証融資などの支援措置を急ぎ発動した。
だが、このニュースを前に、私たちは拭い去れない違和感を抱く。
そもそも、なぜ日本の産業界は、台風が一度列島をかすめただけで、これほど容易に仮死状態に陥るのか。そして、なぜ行政の支援は常に「被災した後に絆創膏を配る」だけの後手後手に終始するのか。
その背後には、日本企業が長年「至高の美徳」として崇めてきた「ジャスト・イン・タイム(JIT・在庫ゼロ信仰)」の致命的な脆弱性と、そのツケをすべて末端の肉体に押し付ける現代の残酷な搾取システムが横たわっている。
1. 「怪我をしたら絆創膏を貼ればいい」という行政の欺瞞
被災した中小企業や運送業者に対し、政府が融資枠や相談窓口を用意して「手厚く支援した」と胸を張る光景は、もはや災害時の恒例行事となった。
しかし、これは例えるなら、「崩落すると分かっている危険な現場に丸腰で突入させ、大怪我を負った者に対して『カットバン(絆創膏)を貼ってやるから感謝しろ』と言っている」ようなものである。
気候激甚化が「異常気象」ではなく「日常の前提」となった現在において、本来行政が果たすべきは、水没しない高規格道路の整備であり、老朽化した治水インフラの根本的更新であり、災害時に中小運送業者が運行を停止してもペナルティを科されない法的ルールの確立であるはずだ。
予防のための投資も法整備も怠り、危険な道路にトラックを走らせ続けさせておいて、被災したら「借金(保証融資)をさせて自力再建を迫る」。この「カットバン行政」の無責任さは、行政が国民と中小企業の生存をいかに軽視しているかの動かぬ証拠である。
2. 「効率化」という名の、リスクの川下丸投げ
行政の不作為以上に罪深いのは、発注側である大企業や巨大プラットフォーマーが信奉し続ける「ジャスト・イン・タイム(JIT)」というイデオロギーだ。
「必要なものを、必要な時に、必要な量だけ届ける」
「無駄な在庫を一切持たない究極のリーン経営」
教科書的には美しく響くこのスローガンは、平時の安定した気候と、寸分違わず機能する交通網があって初めて成り立つ「温室育ちの理論」に過ぎない。在庫を持たないということは、リスクを消滅させたのではなく、「突発的なリスクへの備え(バッファ・冗長性)を完全に放棄した」ということに他ならない。
では、道路が寸断され、橋が落ちたとき、その「消されたはずのリスク」はどこへ行くのか。
すべては、サプライチェーンの最末端に位置する「下請け運送会社」「トラックドライバー」「倉庫作業員」の背中へと転嫁される。
「欠品を出せば契約を解除される」
「遅延すれば法外なペナルティを請求される」
親会社からの冷徹な力関係に縛られた末端の運送業者は、どれほど危険な暴風雨であろうと「行きません」とは言えない。冠水したアンダーパスを前にハンドルを握り締め、命の危険を感じながら濁流の道路へとトラックを突っ込ませる。
大企業の役員が空調の効いたオフィスで「我が社の強靱なサプライチェーン」「在庫ゼロの効率経営」と株主に誇らしげに語るその瞬間、その数字を成立させているのは、泥水の中を命がけで走るドライバーたちの「恐怖」と「すり減らされる肉体」なのだ。
3. オフィスの中間平社員と、泥水のドライバーの鏡像関係
この構造は、決して物流の世界だけの話ではない。
先の論考『氷河期世代を襲う三重の収奪——「無菌室化」した職場で、有能な中間会社員を使い潰す日本企業の末期症状』において、現代のオフィスで起きている「もう一つの生贄システム」を告発した。
パワハラ通報を恐れて若手に仕事を振れない管理職が、理不尽に耐えることしか知らない「40代〜50代の中間平社員(氷河期世代)」に無報酬のマネジメントと実務の全責任を丸投げし、彼らの責任感にタダ乗りして会社を回している地獄絵図——。
スーツを着ているか、泥まみれの作業着を着ているかの違いだけで、いま日本の産業界全体で起きていることは完全に同じ構図である。
- オフィスでは:「波風を立てたくない上司」と「傷つきたくない若手」の板挟みになり、対価のない責任感だけで深夜残業を重ねる中間平社員。
- 道路の上では:「在庫を持ちたくない大企業」と「納期通りに届くことを当然視する消費者」の板挟みになり、責任感と契約解除の恐怖から豪雨の高速道路を疾走するトラックドライバー。
どちらも、「組織や社会が自ら負うべきコストとリスクを、最も反論できない立場の『良心・責任感』に人質を取って丸投げしている」という点において、寸分違わぬ共犯関係の上で成り立っている。
日本の「おもてなし」や「高品質な物流」「効率的な現場」という神話は、実のところ、声なき現場作業者の「自己犠牲」と「責任感の搾取」の上に塗り固められた張り子の虎に過ぎない。
結語:美談という麻酔を捨て、肉体の悲鳴を聞け
「悪天候の中でも届けてくれたドライバーさんに感謝」
SNSには、時折そうした無邪気な感謝の言葉が並ぶ。だが、私たちはその「美談」という名の麻酔に逃げ込むことをやめなければならない。彼らは好き好んで嵐の中を走っているのではない。走らなければ生きていけない構造に追い込まれているのだ。
災害が連鎖し、国土が物理的に壊れ始めている今、誰かの肉体をすり潰すことで帳尻を合わせる「JITの神話」は、すでに限界を超えて軋みを上げている。
大怪我を負わせる構造を放置したまま、カットバンを配って済ませる欺瞞の行政。
効率化を誇りながら、泥水の中のドライバーにリスクを押し付ける冷酷な資本の論理。
その冷淡なシステムの足元で、現場の肉体と精神が完全にへし折れたとき、工場のラインも、都市のスーパーの棚も、二度と立ち上がらないほどの破滅を迎えることになる。私たちは今、その破綻の秒読みの音を、豪雨の濁流の向こうに聞いている。



