国の玉虫色に甘える経営者と、SNS時代に暴かれる「偽りのパーパス」

ビジネス

誰のための「柔軟な働き方」か

序論:美しきスローガンの下で進む「現場の共食い」

2026年10月1日、改正育児・介護休業法が施行された。

3歳から就学前の子どもを育てる従業員を対象に、テレワークや短時間勤務、時差出勤などから複数の選択肢を設け、柔軟な働き方を認める措置が企業の「努力義務」となった。

大手メディアはこの法改正を、「仕事と子育ての両立を後押しする画期的な前進」「少子化対策への確かな一手」と、いつものように無邪気に持て囃している。

だが、永田町や霞が関の無菌室を離れ、日々の業務に追われる実際のオフィスに足を踏み入れてみれば、そこに広がっているのは希望などではない。張り詰めた緊張感と、やり場のない不満が静かに渦巻く、寒々しい現場の風景だ。

「時短や在宅勤務になるのはいいが、その分の仕事は一体誰がやるのか」

「しわ寄せを食らうのは、いつも独身や子どものいない社員ばかりだ」

「申し訳なさすぎて、周囲の冷たい視線に耐えられず、結局制度を使えない」

人を支えるはずの制度が、なぜ現場をここまで疲弊させ、労働者同士を疑心暗鬼の対立(共食い)へと追い込んでしまうのか。

第1章:政治の集金システムが生んだ「努力義務」という骨抜き

この制度の根本的な欠陥は、どこまでいっても「努力義務」という玉虫色の言葉に逃げている点にある。

本当に国が子育てと労働の両立を支援する気があるのなら、やるべきことは極めて明白だ。抜けた穴を埋めるための「人員補充の義務化」であり、代替要員を雇用・育成するための企業への「強力な財政支援」である。人を1人減らしたまま業務総量が変わらなければ、残された人間に過重な負担がかかることなど、小学生でもわかる道理だ。

しかし、政府は決してそこに踏み込もうとしない。なぜか。

企業・団体献金に資金を依存し続ける政党にとって、経団連や経済界の意向に反して「企業にコストを負わせる」ことなど絶対にできないからだ。

財務省に忖度して予算は1円も使わず、財界の顔色をうかがって罰則のない「努力義務」でお茶を濁し、政権には「少子化対策の実績」というペーパーを差し出す。

霞が関の官僚たちのエクセルシートの上ではすべてが美しく完結しているが、そのペーパーのどこにも、「残された同僚が夜遅くまでサービス残業をして業務をカバーするコスト」など1行たりとも計上されていない。

彼らにとって、現場の労働者が差し出す「善意とお互い様精神」は、いくら汲み上げてもタダで手に入る、便利な使い捨て燃料にすぎないのだ。

第2章:国のせいに逃げる経営者の「思考停止の罪」

だが、真に問われるべきは、この国の無責任な法改正そのもの以上に、「国が玉虫色にしているから」と言い訳をして、現場の摩擦を放置し続ける経営者たちの姿勢である。

「法律で努力義務になったから、とりあえず就業規則にテレワークと時短の選択肢を追記しました」

「あとは現場の皆さんで、お互い様精神で助け合って運用してください」

これはマネジメントの放棄であり、極めて卑屈な思考停止である。

人員の補充もせず、業務の棚卸しもせず、カバーに回った社員への正当な評価や手当も用意しないまま、制度だけを導入する。それは、現場の社員たちに「お前たち同士で勝手に殴り合え」とナイフを渡しているのと何ら変わらない。

国の基準とは、往々にして「妥協の産物としての最低ライン」にすぎない。

その最低ラインの曖昧さに甘え、自らの頭でコストと痛みを引き受ける設計を怠る経営者は、自ら組織の土台を腐らせていることに気づいていない。

第3章:SNS時代に暴かれる「社員のブラック化」

昭和の時代であれば、「社内の和を乱すな」という無言の同調圧力で、理不尽なしわ寄せを社員に飲み込ませることができたかもしれない。

だが、今は令和のSNS時代である。

情報の非対称性はとっくに崩壊している。

人員の手当てもないまま中途半端な制度を導入し、現場に丸投げした結果、何が起きるか。

押し付けられた業務に耐えかねた社員の悲鳴は、瞬時にOpenWorkや転職会議、X(旧Twitter)へと書き込まれる。

  • 「子育て世代ばかりが優遇され、独身社員は残業代も出ないまま仕事を押し付けられる不公平な職場」
  • 「HPではD&Iやサステナビリティを謳っているが、実態は同僚の善意を搾取するだけのブラック企業」

どれほどコーポレートサイトに美しいパーパスを掲げ、SDGsのバッジを胸につけていようと、その実態が「誰かの犠牲の上に成り立つハリボテの優しさ」であることは、一瞬で世間に晒される。

その結果待っているのは、優秀な若手や中堅社員の静かな流出であり、新卒採用の壊滅的な崩壊である。

国の言う通りに「努力義務」を果たしたつもりの経営者が、気付いた時には自らのブランドを回復不能なまでに失墜させているのだ。

結び:自らの「純然たるパーパス」を打ち立てよ

前回の論考で触れたように、パーパスには二種類ある。

自社のイメージアップや制度対応のために「利用するパーパス」と、損を引き受けてでも貫く「本物のパーパス(誓い)」である。

柔軟な働き方を本気で推進するということは、単に社員に「休んでいいよ」と言うことではない。

休んだ人間の穴を埋めるために、企業自らが身銭を切り、リソースを再配分し、カバーに回る人間に正当に報いるという「痛みを伴う覚悟」を持つことである。

  • 抜けた穴をカバーした同僚に、明確なインセンティブや評価を与える。
  • そもそも属人化していた無駄な業務を経営主導で徹底的に削減する。
  • 不足するリソースには、派遣やアウトソーシング、AIによる自動化を即座に手当する。

これらをやり切って初めて、「柔軟な働き方」は組織の力になる。

国の法改正のせいにして現場を放置する経営者に、もはや未来はない。

永田町の顔色をうかがう政治の浅知恵に付き合う必要などないのだ。

「お前たちの会社は、誰の犠牲の上にその業績を成り立たせているのか」

問われているのは、国の法律ではない。

国の曖昧さを言い訳にせず、自らの組織の正義と責任を、自らの言葉とリソースで設計し直す——経営者自身の「純然たるパーパス」の覚悟なのだ。