グローバル社会となり、無数のビジネス用語が海を渡り、和訳されては日本に根付いている。
だが、私たちはそれを「本来の意味」で使っているのだろうか。
今日は、現代の職場で念仏のように唱えられている「心理的安全性」という言葉の欺瞞を解体しよう。
日本における心理的安全性とは、「職場で自分の意見や失敗を率直に口にしても、決して罰せられたり否定されたりしない安心感」だとされている。あなたも至る所でこの言葉を耳にしたことがあるはずだ。
だが、断言しよう。
本来、この言葉は「傷つきたくないから認めてほしい」と甘えるための、セーフスペース(温室)を意味するものではない。
私はここで何度も言っているが、ビジネスとは闘いである。
血の流れない戦場に、無条件に守られる温室など存在するはずがないのだ。
「傷つきたくない」という甘え――誤読された日本型“セーフスペース”の罠
英語の「Psychological Safety」が和訳される前に指し示していたのは、「どんなに激しく意見をぶつけ合い、容赦のない知的摩擦を起こしても、決して人間関係が崩壊しない強靭な組織」のことである。
提唱者であるハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授も明確に説いているように、
「高い目標(説明責任)を伴わない心理的安全性は、単なる『快適なぬるま湯(コンフォート・ゾーン)』に過ぎない」
のだ。
「厳しく指摘されない権利」を主張し、業績や真理よりも「ご機嫌取り」を優先させる組織が、グローバルの荒波を生き残る巨大組織になれるとでも思っているのか。
私は、その可能性はゼロだと言い切ろう。
刃を研ぎ澄ます「知的摩擦」――GoogleやAmazonが怪物であり続ける理由
ビジネスという闘いの中では、必然的に様々な意見が衝突する。
刃と刃を打ち合わせ、火花を散らしながら互いを極限まで磨き上げる「研磨」のプロセス。その痛みを伴う摩擦を恐れず、互いの知性をぶつけ合うことができるからこそ、組織としての結合はより強固なものとなる。それが真の心理的安全性だ。
世界の巨人であるGoogleやAmazonの内部では、非常に冷酷かつ厳しい意見の衝突が日常的に起きている。その絶え間ない知的摩擦によって古い細胞を壊し、新陳代謝を繰り返しているからこそ、彼らは怪物として成長し続けられるのだ。
弱者たちの温室か、強靭な闘技場か
あなたは、ぬるま湯の中で傷を舐め合い、他人の顔色だけをうかがう弱者たちの温室を作りたいのか。
それとも、容赦のない摩擦に耐えうる強靭な闘技場を作りたいのか。
クラシックでも聴きながら、本来の「Psychological Safety」の意味を、もう一度静かに振り返ってみることをおすすめする。


