「許し」という名の忘却——怒りをアイゼンに変え、雪山(ビジネス)を登る

ビジネス

あなたは過去を許せるだろうか。 私には、今も許せないことがある。それについて語るのはやめておこう。今も鮮やかに、その感情がよみがえってくるからだ。 そして今も、怒りは日々生まれ続けている。

世界の政治や、人間の意識を解体する中で、怒りや諦めが生まれてくることも多い。だが、その怒りが沸点に達した時、私は自分の記事に「魂」が宿るのを感じるのだ。

さて、あなたは世間からこんなことを言われたことはないだろうか。 「怒りを手放しなさい」「過去を許し、前に進みなさい」と。恨みや執着を抱え続けることは醜く、相手を許すことこそが精神的な成熟であり、癒やしであると。

私に言わせれば、これは生きながらにして「死ね」と言われているようなものだ。

「無一物(むいちもつ)」という言葉がある。 心にこだわりや執着がなく、本来は真っ白で清らかな状態を指す禅の言葉であり、あのアップルの創業者も大切にした概念だ。 私は、成功者というものはこの「無一物」から最も遠い存在だと考えている。しかし同時に、成功者こそがこの「無一物」を強烈に意識しなければならないとも考えている。

私は矛盾したことを言っているが、これを訂正する気は一切ない。

「無一物を意識する」とは、どういうことか。 それは、怒りを持つな、過去を引きずるな、という意味ではない。 自分がすでに手に入れている「富」や「名誉」、そんなものに縛られて、新たなアイデアを形にすることをためらうな、ということだ。

心にこだわりや執着がなく、本来の真っ白で清らかな状態であれば、アイデアを形にするためにがむしゃらに動ける。だが、「自分は色々なものを背負っている」と錯覚してしまえば、人間は動けなくなり、せっかくのアイデアを見捨ててしまうかもしれない。 それは、ビジネスにおいて致命傷になる。

一方で、怒りや過去の痛みは、アイデアや世間という「崖」を這い上がるための鋭い爪になる。

厳しい雪山を登る時、ただ身軽なだけでは滑り落ちてしまう。 ビジネスとは、成功という雪山を登るようなものだ。アイゼンやピッケルがなければ、到底頂上へはたどり着けない。 「怒り」は雪を深く踏みしめるアイゼンとなり、「過去の後悔」は体を固定する場所を探し当てるためのピッケルとなるのだ。

ビジネスにおいて、あるいは人生において捨てるべきは、「怒り」や「後悔」ではない。 過去の栄光や地位に対する、安っぽい「執着」なのだ。

私は、そう思うのである。

怒りは消すものではない。
磨き方を知らない者だけが、それを恐れる。

雪山は、素手では登れない。

「怒り」は雪を深く踏みしめるアイゼンとなり、「過去の後悔」は体を固定する場所を探し当てるためのピッケルとなるのだ。