「わかりやすさ」という名の劣化——表層を撫でるだけの者に、ビジネスは創れるか

ビジネス

 わかりやすい。それは正義だ。 なんでもわかりやすいのが正義。わかりやすいSNSの投稿にはイイネがたくさんつく。だから、今の世の中では「わかりやすい」が正義だ。

 僕は年寄りだから、少し昔の話をしよう。

 昔は「わかりにくい物」が正義だった。わかりにくい物の構造を解体し、読み解ける人は尊敬されていた。

 だが、今は違う。わかりやすいものが正義。 変わったのは時代なのか、それとも人間自身なのか。

 僕は他ブログで『猫でも読む優しい政治と徒然日記』というブログを書いている。

猫も読む優しい政治と徒然日記 | ネコと月夜と日本 と。月の夜、日本をまったり知る時間
ネコと月夜と日本 と。月の夜、日本をまったり知る時間

 このブログは意外と人気っぽい。難しい政治の話題を、猫たちの寓話に落とし込んで説明している。

 確かに僕も、「政治になじみがない人たちの入り口になればいいな」と思って書いている。

 だが、政治の本質は、理解しがたい深淵に潜んでいる。

 できるだけ深淵まで見通せるように、わかりやすく透明化しているつもりなのだが、なかなか難しい部分もある。結局のところ、わかりやすい政治の説明というのは、政治というものの「表面をなぞるだけ」なのだ。

 やはり、ある程度難しいことを理解できるようになってくると、新たな発見があり、自分の中にも意見がたくさん出てくる。

 例えば、皇室の「愛子さまが天皇になっちゃいけないの?」という問題。 簡単な表面だけをなぞるなら、「過去に女性天皇はいたのに」「男尊女卑なの?」という風に見える人もいるだろう。

 しかし、「女系天皇」「男系天皇」という少し深い知識を手に入れると、「愛子さまが天皇になったらどうなるか」という真実が見えてくる。

 わかりやすい「女性と男性は変わりない」という現代的な正義ではなく、深淵に向かって「文化」「血筋」「伝統」、そして「日本本来の呪術的血統」や「日本を守る呪術の長としての天皇」という在り方を知れば、まったく違う景色が見えてくるのだ。

 あなたはここまで読んで、それでも「わかりやすさは正義だ」とまだ言えるだろうか。

 わかりやすいことを求めるということは、世界の表層をさらりと撫でるだけに過ぎない。 そんな人間に、素晴らしいものを作ることはできるだろうか。素晴らしいビジネスを打ち立てることはできるだろうか。

 私は、ビジネスとは「難しいことを考え続けることができる人」が成功するものだと思うのだが、どうだろう。